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華金⑲思い出した過去

 

今日、というか、実は昨日から

何度も華金メールを打っては削除

打っては削除を5回も繰り返してしまいました。

ゾワワワワ

 

 

どうも\( ‘ω’)/

去年書いた記事が、いまだに私の代わりに

コツコツ働いてくれています。

ブログ大好き、華です。

 

 

 

悩んだあげく、

書こうと直前に閃いたのはここから!!

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

9月20日は、母の誕生日でした!

当日行けなかったので、先週実家に帰りました。

 

ーーーーー母と私の会話ーーーーーーー

私「そう言えば、何歳になる?」

母「あんた、お母さんの年も知らんの?」

私「63?」

母「まだ62ですーーー!華は、何歳だっけ?」

私「え?まぁ、あれよあれ、もうすぐ・・・ね。」

母「もうそんなになる!?こわ!(笑笑)

ちょうど、お母さんが癌になった年だね」

私「え!?癌になったのって、この年だったっけ?」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

そう言えば、

今の私の年齢で、母はガンになりました。

ということをこの会話で思い出しました。

 

 

子宮頸がん、膀胱がん、あともう一つ…なんだったか

になりました。

 

 

当時、私は高校生。

3人姉弟の長女です。

 

何でもかんでも、過保護か!バリにやってくれていた母が、

突然、入院して手術することになったので、

当時、遊びたい盛りだった私は、

友達の誘いをすべて断り

 

家に帰って、洗濯して、掃除して、宿題して、ご飯の準備して、片付けして…

 

という、

高校生の自分には、背負いきれない負担を一気に背負うことになりました。

 

 

 

もう、キャパを完全にオーバーして、ストレスと辛さと寂しさで、

一人でよく泣いてました。

 

 

私は、中学から反抗期で、父と一切話さなかったのですが、

母とは、友達以上の仲良しで。

 

帰ったら、必ずいつも笑顔で「おかえり」と言ってくれていたのに

その母が家に帰ってもいなくなり

高校生なのに、寂しくて寂しくて…

 

楽しそうに遊びに行く友達を見ながら

 

「なんで私だけ・・・」

って、

自転車こぎながら泣いたこともあったかな。

 

 

 

父は、自宅を職場とする自営業だったので、

帰ったら父はいるんですが、

もちろん、必要最低限以下の会話しかしません・・・。

 

 

母は、お見舞いに行く度、見る見るやせ細り

ストレスを与えてはいけないと思いながらも

どこにも吐き出せる場所がなく、

 

私はその記憶がないんですが、

病院に行っては、母に愚痴っていたそうな。

(今だから笑い話になっている)

 

 

 

そもそも、母が何で癌になったかって、

恐らくストレスだと思うんだけど、

 

私が小学校くらいまでは、多分景気が良かったのか、

もう贅沢三昧、

欲しいものは、泣いたら何でも買ってくれるような

激アマな時代を過ごしました。

昔の写真見ても、良い服しか着てない。

 

 

父は先ほども言った通り、自営業で、

母が事務的なことや来客対応をちょっと手伝う感じ。

 

 

一応社長なので、社長の妻が、パートに出るなんてもってのほか。

 

 

そんな父の仕事が、暇になったのは、

私が中学高学年くらいだったかな。

 

そこらへん詳しくは覚えてないんだけど、

父と母が、お金のことで、

よく言い合いになっていたのを

子供ながらに覚えています。

 

しかも、今なら分かるけど、

これから、まさに子供のことでお金がかかる時です。

 

 

親の金銭事情は一切知らないんですが、

恐らく大変だったんだと思います。

 

だからと言って、

母が外で働きに出ることを父は許しませんでした。

 

 

 

ある時、学校から帰ったら、

家の中に、大きな段ボールが

何箱もあったんですよ。

 

何これ!!

(心の中では、何か良いものが入ってるもんだと思ってキラキラ目を輝かせてたんですが)

 

 

中身は、太い銅線みたいなのが、大量に入ってて、

それを分解する内職の箱でした。

 

 

その辺りから、

帰ったら、母はひたすらそれをやってました。

 

 

ちょっとでも役に立てればと、

私も手伝ったりしたんですが、

全部やり終えた後、

一緒に、その箱を納品先に持って行くのに、ついて行ったんです。

 

 

箱と引き換えに、お金の入った封筒を手渡された母。

 

 

かなり!かなり!!苦労して仕事していたのを自分も知っていたので

いくら入ってるんだろう…何万も入ってんのかなぁ…

と期待しながら、視線は封筒に…。

 

 

母に聞いても

もちろん教えてくれませんでしたが、

ちらっと見えた私の記憶では、

千円ちょっとしかなかった気がする。

 

 

本当に、小銭だらけで、

 

「え!!!

あんなに大変だったのに

たったこれだけ!!?」

 

これが、強烈に残っています。

 

 

こういう経緯があり、

母にも相当ストレスが溜まってたんじゃないかなって。

 

 

 

こんな子供時代を過ごし、

まず、私は、

母のように、子供が帰ってきたら

笑顔で「おかえり」って言える母でありたい!

と昔から思っていたし、

そのためには、

パートに出なくていいような仕事をと思っていたし、

内職ではなく、

ちゃんと稼げる仕事を

家でできるようにならなきゃいけないなって思ってました。

 

 

 

多分、子供が小さい時に、

母親である自分が病気になったことは

相当辛かったと思います。

 

 

今思い出したけど、私も第1子が1歳過ぎた頃、入院手術をしたことあったわ・・・。

 

 

 

 

 

結局何が言いたいのかというと、

 

明日は分からない。

 

 

 

元気なうち、

そして、

子供が小さいうちに

私は稼ぐすべを見つけられて

本当に良かったって、

これを思い出しながら

心の底から思いました。

 

 

ここまでくるのに(ブログで稼げるまでに)、

私が全然苦労してないかと言ったら

それは違います。

 

 

ここまでくるのに、

約10年、色んなことをしました。

思うようにいかなくて、

小さな子供の前で

声出して泣いたこともあります。

「私って、なんで何をやってもダメなんだろう…」

自分を責めたことも何度もあります。

 

 

 

だけど、母の元で育った私は、

大好きな母のような母になりたい

という気持ちがずっとあって、

だから、

何をやってもうまくいかない約10年間を

なんとか乗り切ることができたのかもしれません。

 

 

ちょっと時間かかりすぎちゃったかなと思うけど、

結果良ければすべてよし。

経験は絶対に無駄にはならない

と今は思ってるし

長い10年間だけど、

それでよかったって思ってます。

 

 

 

今、コンサルをしてるので、

ブログは全く更新できていないんですが、

ぶっちゃけ、何もせずとも

勝手に毎月パート代以上入ってきます。

これ、元々在宅を始めた頃の目標です。

(もちろん波はあるけど、ブログ”だけで”です)

 

何もせずに

それってヤバいですよね。

 

 

 

そんなこんなで、

ブログで稼げるようになるって

いいですよ。

 

 

実は、ここだけの話、

今密かに、

ブログで稼げなかった頃の自分に向けて

色々まとめています。

 

 

いつか発表します。

はい。

 

色んな稼ぎ方があって、色々目移りしそうになりますが、

ブログの最大の魅力って、

何もしてない時に勝手にお金が入ってくること。

 

完全な不労所得ではないけど、半不労所得。

 

絶対、ブログスキルは身に着けておいて損はないです。

 

 

 

ということで、

私は、

稼げなかった頃の自分と同じような人が

稼げるようになってほしい(同じような気持ちを味わってほしい)と

心から思ってますので

何か、悩んでることとかあれば、

気軽に聞いてください。

 

これで、行動できる人って、

きっと未来を変えられる人だと思います。

(ほとんどの人が行動を起こさないことを知っているので)

 

 

 

 

ではでは、今日はこの辺で。

 

 

おらを出さねばクレームくるぞ!

 

 

今日の一口メモ

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